杉の切り株に涙

実家の庭に背の高い杉の木がありました。小さな頃から弟の家の床柱にするからといつも聞かされていました。猫を飼っていたときはいつもその杉で爪を研いだり、登ったりしていたので、「あー、床柱がー。」と家族で見ていたものです。それから20年ほど経ち、杉の木は大きく高く育ちました。
最近になって、知り合いの林業を営む専門家に見てもらったところ、床柱としては勿論、材木としても全く価値の無い杉だと言う 事が分かりました。床柱にする杉は杉林の中で、他の杉と一緒に育たないといい材木にはならないそうです。
祖父も悩んだのですが、結局杉は切られ、大きな切り株だけが残りました。祖父も切ってから後悔の念に駆られたようで、切り株に水をあげていたそうです。母も同じように水をあげ、可哀想という気持ちで切り株を見ていたようです。
こういう感情は同じ家族でも人によって大きく異なるようです。祖母と父は「落ち葉の掃除もしなくてもいいし、価値が無いなら切って良かった。」と感慨も糞もありません。このような性格は不思議と遺伝をする様です。私は悲しい派です。
世界は切り株に涙する人としない人の二つに分けられると思いました。
何年もかけて育った木に感情を移入したりするのは日本人の美点だと思うのですが、皆様如何でしょうか?