ヒマワリの種の外殻の存在意義

youmatsu2007-02-23

ベトナムではよくお菓子や酒のつまみにヒマワリの種を食べる。
日本ではハムスターの餌の地位に甘んじているが、こちらでは人間様の食べ物だ。日本でも子供の頃に食べたような遠い記憶があるが、今ではスーパーに売っているのを見かけない。
ヒマワリの種は硬い殻に覆われていて、そのままは食べられない。奥歯でやさしく噛むと2つに裂ける。そして中の柔らかい部分を食べるのだ。味は少し香ばしいくらいでなんと言うことはない味である。しかし、このヒマワリの種、一度食べだすと止まらない。まさにCan't stop eating!なのだ。食べる部分が小さく、幾ら食べてもおなかがいっぱいにならないのも一因だが、この大しておいしくもないヒマワリの種をひたすら食べ続ける要因は何なのか?一緒に食べていた友人が言うには種の殻をむいて食べるという一連の動作に魅力があるのではないかという。確かにそのとおりだ。
皿の上の種の中から、適度に膨らんで割りやすく、おいしい中身が入っていそうな種を選び出す。そして、奥歯で慎重噛み、パキッという心地よい音を立てて歯の間ではじけた種を取り出して、指先で中身を取り出す。きれいに真っ二つに割れて、狙い通りにきれいな中身が無傷で取り出せるとかすかな悦びを感じ、中身を口に運んで味を確かめる間に殻を灰皿に捨てる。
この一連の動作が病みつきになってしまうのだ。天津甘栗でも、選定と殻を剥く作業に同じような悦びがあるが、あれは中身も相当においしい。だから、面倒くさくて中身だけ食べたい人には「剥き栗」なる商品が存在し人気を博している。しかし、同じように「剥きヒマワリの種」があったところでそれは商品としては成り立たない。なぜならヒマワリの種は甘くもなく、たいした味はしないからである。ヒマワリの種は食べられない殻によって食品としての商品価値が高められているという不思議な食べ物である。